なぜ、結婚をキリスト教の神に誓うのか!

 先日、親族の結婚式に出たらキリスト教でやっていた。当人達は無宗教であろう。多分、キリスト教の神父の前で誓うのが格好良いと思ってやっているのであろう。浅はかで馬鹿げた行いだと思う。

 宗教、特に一神教は命懸けの宗教である。妥協が無い。同じ神を崇めるキリスト教とユダヤ教とイスラム教がなぜ、あれ程、差別し、憎しみ、殺しあうのか。これは神がいない明白な証拠であろう。自分を信ずる信者達を殺し合わせる神は、それは神ではなく悪魔である。だから私はキリスト教は邪教だと言う。キリスト教は自分達の価値観を絶対的なものとし、それ以外の文明を全て否定して来た。それは白人(キリスト教)がアジア、アフリカ、北米、南米等を征服してきた過程を見れば明らかである。白人による世界制服、植民地化の歴史は、キリスト教による世界制服の歴史と同一である。その根底にあるのは、『キリスト教にあらずんば、文明にあらず』という独断と偏見の世界観に基づいている。

 12月30日付け朝日新聞、生活面に『教会?いえ結婚式場です』の記事。その中にリクルート社の統計が出ているが、日本人の挙式スタイルで圧倒的な人気は「キリスト教式」で07年は70%に達したという。「人前式」15%、60年代には80%だった「神前式」は今では12%との事。

 日本人が無宗教なのは、良いとしよう。日本は四季の変化に富み、自然も美しい。民族的にも単一とはいわないが、旧ユーゴスラビアのようにごちゃごちゃしていない。毎日、問題なく食べていければ、宗教など無くても特に問題ないのは良く分かる。しかし、キリスト教徒でもない人間が、結婚式の飾りの為にキリスト教を利用するのは如何なものかまして、邪教であるキリスト教になびくとは情けない

 世間の親達が下らないからこんな事になる。物質的には豊かになったが、精神的に小作農民時代の前時代的意識しか持ち得ない市民日本人としての誇りもなく、文化伝統も理解せず、物欲の充足のみに奔走する日本国民と経済界と政治家。その結果がこの始末である。

 子育てでしばしば『人に迷惑を掛けない』をモットーにしている人間をテレビなどで見る。馬鹿じゃないか。人に迷惑を掛けなければ、何をしても良いのか。ヨーロッパなど、自分の国の文化を守るために外国語の使用を制限したり、この国際化の時代だからこそ逆に自国の文化保護を強化したりしている。そういう日本人としての自覚も考えずに『人に迷惑を掛けない』などと言う下らない指針しか持たないからこういうことになる。

 自分の子供には、口うるさく、こういう事を話す。子供には甘い方かもしれないが、議論は時々する。口では子供に負けることもある。

 さて、自分の子供が教会で結婚式をするといったらどうするか!そんな日が来ないように今から子供を教育しなくては。

(2007年12月30日 記)

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